お山歩日記2005「鳳凰三山(ほうおうさんざん)〜稜線の熊親父とスカイロード編」

目的山域

  南アルプス鳳凰三山

薬師岳(やくしだけ)
観音岳(かんのんだけ)
地蔵岳(じぞうだけ)

期間 9月3日〜4日
参加者  ノリヒコ、リツコ、ミサト、
ハヤテ、トシオ



不本意な夏の始まりは、そもそも富士登山を計画したところからだ。

もともと富士山は見る山であり、登るには面白みが欠けると思っているので、

一回登れば充分のはずが、お山歩倶楽部10周年記念と娘の受験祈願を込めて、

比較的空いている8月末に、9月半ばには唐沢カールからの北穂〜奥穂周遊が計画された。

年の所為か、日頃の行いの悪さか、はたまた気乗りがしなかった所為かは判らないが、

盆前に足は違うけれど、2年連続で脹脛の肉離れ(部分断裂)。

医者からは全治1ヶ月、激しい運動はプラス半月禁止と宣告され、目の前が真っ暗になった。

ほぼ今年の山は終わったと、諦めていたが、以外にも経過がよく色気が出だ。

さすがに2週間では無謀であろうと、山小屋事情も日本一(悪い)の富士山でも9月になると軒並み山小屋が閉鎖になれば、日帰りとはいえ子供連れでは不安が残る。

非常に残念ながら富士登山は断念。日程的に調整が厳しくなっていた穂高もこの足では無理だろう。

ということで、久しぶりに南アルプスに。一泊ならば、鳳凰三山であろう。

南アルプスの入門的コースとガイドブックにもあるし、なんとかなるだろうと決定。

リツコの努力で土日の日程になり子供達も行ける事になったので、山梨ならではの葡萄狩りもセットのお楽しみ登山となるはずであった。

2日午後10時、夏バテで体調不良のエツコを留守番にして和具を出発。

天気予報では2日はよさそうだが、3日が怪しい。

たんなる縁担ぎが半ば伝説化してきているので、今回も厳かに気合を入れて願をかける。

という訳で、いつもは起こしても爆睡している子供達も頑張って御在所うどんを食す。

一年ぶりに来て見ると改装されコンビニもあり、ビックリ。

ついでに明日の昼食をここで調達して置く。

今回は山梨なので、東京のノリヒコは家から3時間弱で待ち合わせの韮崎ICに着くらしい。それに較べて過疎地の我々は約6時間の予定である。

名古屋から中央FWで一路韮崎へ。何度か休憩を取り運転も変わりつつ4時前に到着。

コンビニでノリヒコと待ち合わせる。

4Lの水と大量のお握り、いつものノリヒコと違うのはアミノバリューだそうだ。

韮崎市内中心部を抜け甲州街道を北上して林道に入る。舗装道だと聞いていたのにいきなりダートになったので車高の低いノリヒコの車から「ウソ−」の声が聞こえた気がした。ノリヒコの心配を他所に林道は舗装された道となり一路青木鉱泉を目指す。

1時間弱ほど走り、辺りが明るくなりだした頃青木鉱泉着。駐車料金が必要とあるが、

青木鉱泉の食堂入り口は広々と開け放たれているのに人の気配が全くない。

どうにかなるだろうと、そのまま登山準備に入る。

朝食の後、6時15分。いざ出発。

今回は青木鉱泉から中道に入り鳳凰三山を縦走して、ドントコ沢を下る周遊コースだ。

ガイドブックに中道は静かなコースと書かれているが、コースを示す標識が怪しい。

取って付けた様な案内板どうりに歩いて行くと、突然幅30mの川に出た。

かすかに赤いマーキングが引かれ、対岸に標識が見える。どうやら川を横断するらしい。

川の深さ自体は深いところで膝位だが、所々に板がただ渡してあるだけで、岩伝いに飛ばなければならない。いきなりのピンチだ。

で出しで靴に浸水させる訳にもいかん。慎重に渡ってみれば対岸はブッシュで道はなく、目を凝らせば50m先の護岸に標識あり。張り出す木の枝に邪魔されながら歩けばようやく登山道らしい登り道に出る。ひと丘登ると広い林道に出た。どうやらショートカットルートだったみたいだ。

つい先程車で通った道をしばらく戻り、右に分岐し緩やかに登ること45分。

ドントコ沢 鳳凰三山遠景

ようやく中道登山口に到着。数台車が駐車してあるのを見ると歩いて来たのがもったいない気がする。帰りのコースは青子鉱泉に着くので、冷静に考えると仕方ないのだが、人間が出来てないので目先の欲につい囚われてしまう。反省。

朽ち果てつつある造林小屋を横目にいよいよ登山開始。

唐松の樹林帯に入ると、急登の一本調子だ。殆ど平な所が無くひたすら登る、登る、登る。

たまに視界が広がるが、時間の経過と共に雲が広がり出し、稜線らしきものが見えるがそれが何か認識できない。

登山口から1時間あまり登り続けると、辺りが開け林道の終点となる。

車が駐車してあり、見るとウンザリする。後に、ここから薬師小屋に荷揚げしているのが判明するが、鳳凰山登山口と書かれた看板を見るにつけ、舐めて掛かったのではないかと不安が横切る。

南斜面の明るいが緑の濃い道は、なかなか手強い。谷で風が通らず、まず暑い。

木々がダテカンバなどの広葉樹になると、足元に苔が生え滑り易く、可憐な山野草の代わりにキノコが花盛りだ。

この様なただ登るだけの道を4時間もひたすら歩き続けると、今年から中学生になりサッカー部に入部したハヤテの様子が変わりだした。

さすがに毎日運動していると、去年までとはひと味違うと感心していたが、元の彼に逆戻りだ。もっとも大人でさえ辟易しだしているのだから仕方ないのだが、後方にポジションが下がると要注意で、ガクっとペースが落ち先頭と後方に2分割される。

先頭集団は距離が開くと休息がてら後方集団を待つ訳だが、後方集団が合流すると出発という事になる。ゆえに後方集団は休み時間が少なくなり、悪循環に陥る。

あまりにもやる気が失せてしまったので、これではイカンと先頭集団に戻すが、サッカー部の性か地面を蹴って憂さ晴らしをしている。杖にもたれ掛かり、ブツクサ言いながら歩いているのか休んでいるのか分からないペースで進む。耳を傾けると「何時まで登るんや。二度と山なんて来ない。来年は絶対登らん。」と呪文のように繰り返す。時間は経過するが、一向に距離が稼がれぬ。

ハヤテと反比例して俄然調子が上がるのが姉のミサトだ。

中三になりクラブを引退して1ヶ月運動らしきものを一切せず、山を舐めてかかり前半は死んでいたのに、若さはホントに財産だ。

後半になると持ち直す。「私はスゴイやろ。」とハヤテを横目に自慢しきりである。

中道 御座石

5時間を要して御座石にたどり着く。

視界を期待していたが鬱そうとした森の中に巨岩が鎮座しているだけで、ガッカリだ。

斜面に対し、水平に石を置くと下の方が浮く。その空間に木の枝が何本も立ててあり、まるで木の枝で巨岩が支えられている錯覚に陥る(確かめてみた)。

余りの登りの単調さへ憂さ晴らしに違いない。

南アルプスらしい苔むした長いアプローチもようやく終わりを告げ、ガスのため視界は無いが明るい稜線に出ると待ちわびた標識を発見。

薬師岳経由と小屋直登コースがあり、皆の意見を集約すると圧倒的多数で小屋に向かう。

アンモニアの匂いに引かれ怪しげな道を15分程歩けば、待ちわびた小屋にたどり着く。

薬師小屋 小屋前で乾杯

事前にネットの画像で見ていたものの、あまりのみすぼらしさに口に出しては言えないものの内心愕然とする。

既に時間は午後1時。明日の天気予報が悪いので、山小屋の有様に迷いが出る。

雨の中稜線を渡るのか?しかしながらこれから2時間歩くのは無理なようだ。

子供達はベンチから動こうとしないし、ノリヒコの太ももはピクピクしている。

平然としているのはリツコぐらいだ。いつもながらぶっつけ本番なのに、たいしたものだ。

すがりつく視線に負けチェックインする。

入り口を入ると12畳ぐらいの食堂兼売店&談話室、その横に厨房兼倉庫&スタッフルーム、食堂の奥の扉をくぐると客室。

ありていに言えば3つのブロックに分かれた小汚く狭く暗いげんなりとした小屋であった。

そこに若い兄ちゃん従業員がボーッと座っていた。声をかけるとビックリするほどの愛想の無さで、事務的に受付を済ます。

宿賃を先払いし(子供料金の設定なし)、荷物を持って客室に向かうとハゲのオッサンが蛍光灯を修理していた。

「いらっしゃい。」の言葉の代わりに、「ザックに付けている鈴を外してよ。他のお客に迷惑だと思わない?だいたいその鈴、何の為につけているか知ってる?熊避けでしょう。

熊は2000m以上には出ないのよ。だから稜線に出たら鈴なんか外さなきゃ、鳥の鳴き声も聞こえないでしょう。百害あって一利なしだよ。どうせ考えなしに電車の中でも付けっ放しだろうし、もっと道具の意味を考えて回りに迷惑をかけないようにしなきゃ。」

他の客もいないのに、顔を見るなりまくし立てた。鈴を外そうと指定されたカイコ式の寝床(敷布団一枚に2人、毛布1人に一枚、掛け布団3人に2枚?いったいどういう組み合わせなんだ。)にザックを置くと、「ザックを布団に置かない。ザックなんか何処に置いたか分からない物なのに、人が寝るの所に置いたら汚れるだろう。ちゃんと考えなきゃ。

俺は、山の常識を教えてやるのは小屋の勤めだと思うんだよ。」

汗埃みどろの服のまま寝るのに、そう細かく言う必要もないだろうと思いつつも、なるほどごもっともな正論であるので、言い返す言葉も無くかった。

乾燥室もないので通路側に渡された紐に濡れた衣類を干していると、「そうやって店を広げるのはいいけれど、忘れ物をしないように。本人には大事な物でも、山小屋にはダダのゴミなんだから。」さらに掛かる追い討ちにあきれて口パク状態だ。

腹いせにこの親父を熊親父と呼ぶことにした。

ザックから鈴を外し、薬師岳の山頂に行く用意をする。

すぐそこにあるので、貴重品だけ持っていこうとしたら、昨年の常念に懲りて子供たちが頑強にカッパを持つと主張。

ガスっているからしょうがないか。空荷だと10分の距離はあっという間だ。

薬師岳山頂 ガスの中の鳳凰三山稜線

風化した花崗岩と白砂の景色は見事な自然の日本庭園を形なしている。

残念な事に、辺りはミルクに染められ、時折観音岳に至る稜線道が見えるだけで苦労に報う眺望が無い

とりあえず、記念撮影だけして小屋に戻る。

何時の間にか小屋前で宴会を始めている10人程の団体を横目に、遅い昼食(といってもラーメン)と恐ろしく高い缶ビール(350cc600円)。

通常は調子に乗って、もう一本となるが、財布の中身を考え自重する。

この山小屋は泊り客にも水の配給が無く、従って買わなければならないが、穂高山荘でも1L200円だったのに、ここでは500ccのペットで300円だ。いくら人による荷揚げでもTOPを考えれば、異常だ。

とはいえ、荷揚げするだけで殆ど自分で飲まないリツコのワインをいただいた私は、大きな口は吐けないが・・・。

程よく酔ったところで、山小屋の脇に聳える砂払岳の裾から薬師岳の写生大会をする。

いつもは無関心のハヤテが参加したのには、少し驚いた。曰、「暇だったから。」

いち早く睡魔の誘惑に負けたノリヒコに続き続々と極楽世界に旅立つ。

1人残った私は、寂しくし1人酒をしていると、何時の間にか、似たようなオッサン達が

4人でテーブルを囲んでいた。

山家集まれば自慢大会になるが、こんかいは趣向を変え、何処の山小屋が酷い大会となる。

とはいえ、予報が悪いだけに一番の共通の心配事は明日の天気だ。

あめの稜線歩きは風が伴うので最悪となり、そうなった場合予定する7時間の歩行はどうなるのか?

来た道を戻るのもどう考えてもイヤだし、迷い戸惑う。

多分雨なら、二度と子供達は山には登らない確信があった。

能天気に盛り上がる団体の横を、100人の定員に対し70人の宿泊予約らしく続々と登山が到着する。殆どが夜叉神峠からの登山みたいだ。

はてさて、お待ちかねの夕食。若い番頭風の兄ちゃんが、先ずは説教から始まった。

夕食 朝食

要はマナーを守れということだが、細々とあれこれするなと教えてくれる。

確かにこの小屋のようにワンルームでは、マナーの悪い輩に迷惑するが、多少折込済みの諦めはある。

夜明け前からの会話や、早立ちの用意でレジバックのシャリシャリ音は迷惑だが、絶対無くならない。

寝床で飲み食いするなとか、客の会話を他に漏らすな、などなどもっともなれどそう高飛車に言うものでもない。

揚げ句の果てに出た夕食のお粗末な事。練り物だらけのおでんとカンチ飯。もしやと用意してあったフリカケが力を発揮した。

高価な水を買い込んで、夕食後はアンモニア臭漂う外のトイレで用を足し、早々に夢の中に旅立つ。

夜明け前に小屋前で宴会をしていた団体がヒソヒソ話を始め、説教が役に立ってない事を証明された・・・

教条的な山小屋の一夜が明ける。

御来光 霊峰富士

日の出前、心重く外に出ると澄み切った空気の中目の前に日本第二の高度の山、南アルプスの主峰北岳が聳え立っていた。

慌てて、みんなを起こし太陽と鬼ごっこ。

トイレをして間に、ノリヒコとミサトにハグレ2つに別れ我々山小屋脇の砂払岳に登る。

花崗岩を積み上げた岩山を登ると、東側に正対するように八ヶ岳連峰が姿を現し、

更に頂上まで登りつめると、目の前に霊峰富士の姿が黎明の空に浮かんでいる。

その富士と八ヶ岳の間が朱に染まり、雲海の中から黄金の太陽が姿を現す。

久々の素晴らしい御来光で、思わず手を合わす。

こんなに大きい富士山は初めてで、改めてその見事な台形の姿に感動した。

二度と山に登らない宣言をしたハヤテの顔も光輝き、満足そうだ。

その顔をみて心を撫で下ろす。

雲海に浮かぶ八ヶ岳 薬師岳(右)と観音岳(左)

感動を胸に朝食を取るべく、山小屋に向かいかけると、山小屋を挟んだ位置にある薬師岳から降りてくるノリヒコとミサトの姿を発見して、これもまたひと安心である。

又してもAm5時半の朝食にはお説教付きで、早々の済ませ出発の準備をする。

6時に山小屋を出る。出掛けに「お世話になりました。」と一番若い山小屋の兄ちゃんに挨拶すると、シカトである。唖然とする。

登山客を教育する前に自分の従業員を指導するのが先決で、この山小屋客商売であるということを忘れている。熊親父に喝!である。

怒りは胸の奥に仕舞い込み、天気の良いうちに稜線を踏破すべく再び薬師岳の頂きに立つ。

昨日と打って変わった色彩の中、空のブルーに白い砂が映える。

奥行きの景色がまたすばらしく、鳳凰三山の主峰観音岳がそびえ立ち、西側には白鳳三山から続き仙丈岳のなだらかな山容が寄り添う。

東は八ヶ岳、振り返れば霊峰富士、まさにスカイロードだ。

稜線の親子 観音岳

2780mの薬師岳の山頂から40分をかけて、ハイマツが点在する稜線をなだらかに下り再び登れば2840mの観音岳山頂だ。

2等三角点の置かれた巨岩に登れば、先ず地蔵岳のオリベスクが目に飛び込む。

その隣に花崗岩の巨岩が荒々しい赤沢の頭があり、その奥に甲斐駒ケ岳の端正な姿があった。

北岳(手前)と間ノ岳(奥) 観音岳山頂

今回で3度目の南アルプスとなるが、最初は北岳、次に甲斐駒と仙丈岳。

それぞれに宿題を残しているが、特に甲斐駒はガスに覆われ視界ゼロの苦い想いでがある。

仙水小屋にもう一度泊るとなると多少腰が引けるが・・・

朝靄越しに北アルプスの山塊が浮かび上がる。槍の穂先が手招きしているようだ。

眼下に見える赤沢の頭と地蔵岳までには結構な高低さのある鞍部が待っている。

子供達も今まで見た中で最大の大きさの富士山なので、名残惜しくも「さようなら」を告げる。

赤沢の頭の奥に聳え立つ甲斐駒ケ岳 赤沢の頭の分岐

急斜面を一気に200mほど下り白砂の鞍部に立つ。岩と背の丈の樹林を縫うように登る。

100mぐらい登れば砂地にゴツゴツした岩が突き出した見晴らしの良い岡に分岐標識があった。

どうやらこれが赤沢の頭みたいだ。

自然と同行とする登山者の何人かはここで広川原、早川尾根方面に分かれる。

休憩の切り上げの目安となるうるさい年寄り軍団が、後方から接近。しかたなく出発。

少し下ると、賽の河原と呼ばれる砂原に出る。そこには小さな地蔵が一列に並んでいる。

水子供養かそこから塔のように聳え立つ地蔵岳のオリベスクは、少し寒気がする。

心霊写真とならないようにビビリながら一応記録写真を撮っていると、リツコに気持ちわるがれた。

後日子宝に恵まれない人が持ち込んだ地蔵達とわかるが、鬼気迫るものがある。

宗教な意味合いはさておき、岩を円錐形に積み上げたオリベスクは迫力満点で15分程で基部まで登る事が出来るが、頂上までは登攀技術と道具がないと登れないので見るだけでよしとする。

タカネヒラツジ 地蔵のオリベスク

斜度60もあろうかと思える砂地の斜面を歩いているのか滑っているのか分からない様にして降り、ダテカンバの林間をハヤテの「まだ,まだ」を聞きながら30分。高度にして300m強、かなりの急勾配を降りるとようやく花畑の中に鳳凰小屋が出現。

ほんの近くに沢が流れているのでここは水が豊富で、水道は流したままだ。

さっそく頂くことにする。喉に冷たさが心地よく、美味しさに皆を手招きする。

薬師小屋で買った高価なアメリカ産の水だが、もったいないけれど入れ替える。

もちろん熊親父に敬意を払い、クソタレと小声でつぶやきながら・・・。

稜線から離れている場所柄か小じんまりとした小屋で、よく言えばアットホームな感じだ。

まぁ少し暇そうで、小屋からはギターを爪弾く音色が響いている。

バンダナを巻いたいかにも山小屋の親父といった感じのオジサンが愛想良く迎えてくれる。

努力無しでも客が集まる立地条件に胡座をかき間違ってはないが高飛車な態度をとる小屋の熊親父とは対照的で、意地悪い表現ではあるがここで愛想が悪ければ誰も泊らないルートプランに中途半端な場所であることは確かだ。

それゆえ山好きを絵にかいた様な親父は、ニコニコといろいろ教えてくれる。

聞くところによれば我々のコース設定は最悪だそうだ。行きの中道は面白みがなく下りに使うコースで、今から下るドントコ谷道は足場が悪く急勾配なので、登りの方が楽らしい。そういえば、昨朝結構いた駐車場の登山客と中道で殆ど会わなかったのはそういう訳だったのか。

日当たりの良いテラスでの会話が心地よく尻に根が生えそうなので、薬師小屋で同宿したオバサンチームが出発したのを契機に、記念の小屋バッチを買い我々も重い腰を上げる。

鳳凰小屋 地蔵岳(右)と赤沢の頭

少し下ると明るい川原に出る。透き通った水は冷たく気持良い。

傾斜もゆるやかな沢道で、のどかで楽勝かと舐めて掛かっていたところ、やがて樹林帯に入った頃から様変わりだ。

川から高度差が出来始めると沢沿い登山道独特のアップダウンの繰り返し、次第に状況は厳しくなる。

時間の割には高度が稼げない。暗い森に入ると滑る足場の急勾配、そろそろ足にくる気配。

登りではヘタレのハヤテだが、下りはもはやスペシャリストで、道自体に飽きはするがふて腐れることもなくシッカリとした足取りで跳ねるようにおりる。

例により、後続を引き離し2時間弱歩くと白糸の滝の標識が現れる。

少し道からはずれると林間から滝の姿が見える。5分ほどで滝まで行けるが、先がまだまだ長いので体力を温存して後続を待つ。

しかし到着したミサト、リツコ、ノリヒコの3人は「マイナスイオン」とさけびながら滝壷まで行ってしまった。

ハヤテと私は待機していたが、あまりにも帰ってこないし体が冷えてきたので、一応「先に行くぞ。」と叫んだが、聞こえたかどうか分からない。

滝の音で聞こえなかったらしいが。

苦行をつどけることあと1時間、ようやく中間地点の南精進の滝への分岐に着く。

コースタイムの1・5倍のペースだ。

ここで後続とようやく合流。再び苦行のアップダウンの繰り返し。

トレーニング不足が響いて膝が笑い出す。股にも張りが来ている。下山後、結構筋肉痛が激しそうな予感がする。

1時間半ほど歩いてやっと川原にでる。

川幅が広くなり工事用のブルト―ザー見えると、軽装でサンダル履きシャリ袋を下げた男3人組が現れ、「滝までどのぐらいでいけますかね?」と訊ねてきた。そのまま行かせても面白いなと意地悪く思いもしたが、2時間近くかかるので止めた方がいいと、親切に忠告してあげた。

少しすると、お待ちかねの終点の看板。

白糸の滝 終点

よく見ると確かに滝の印があったが、所要時間は書いては無かった。なるほどこれでかと納得する。

青木鉱泉に着き車に戻ると、しっかり駐車代金の請求書が貼り付けてあった。

旅装を解いていると、おじさんが近づいて来て、我々も迷った中道へ行き方を訊ねてきた。

鳳凰小屋で聞いた説明をそのままに、コース設定のキツサを教えたが、足(車)の事や一泊二日の日程を考えるとこのコースしかないよねという事になった。もっともオジサンは今回は下見で、紅葉の時期に来るらしいので今回より目に楽しいには違いない。

2日間の汗を落としに温泉に出向く。ひなびた温泉宿は風情があるが、作り自体が古いので露天風呂も無く風呂も手狭だ。

日焼けと長時間の歩行でほてった体には熱い風呂はキツイ。

虫が多いので窓は開けられないので、疲れを癒すほどゆったりと長風呂が出来なかったのは残念だった。

入浴後、酒にいやしい私は生ビールの誘惑に負け、食堂に入る。

注文の品を備え付けの紙に書いて出すシステムだったが、最小人数で営業しているのか、

先客の後片付けもそのままで、店員の姿が無い。しばらく呼び続けようやく生ビールに有りつけた。

思いの外、下山に時間がかかったので、ブドウ狩りの予定がブドウ買いになってしまった。

それでもぶどう園直売所で買ったので、お買い得品もあり、お味の方はGoodだった。

来年もと、韮崎のインターでノリヒコと別れ帰途に着く。

やはり、南アルプスはアプローチが長く山小屋はよくなかった。

「来年は山小屋のいい所にして。」というミサトの言葉にほっとした。

さて、来年は北アルプスか・・・。

 

文、写真

志摩お山歩倶楽部 竹内敏夫