お山歩(おさんぽ)日記2002「御嶽山〜苦闘巡礼の旅編」

 

山域 木曽御嶽山
期間 7月23日〜24日
参加者 ヒデオ、リツコ、エツコ、ミサト、ハヤテ、トシオ


エルニーニョかなんか知らないが、今年の台風はおかしい。

7月の前半に2個も来たと思ったら続々とやってくる。

折りしも、近づく台風の進路を危ぶみながらの出発となった。頑張れ太平洋高気圧!

天気予報は微妙なり。

前夜10時半和具出発。いつも通り伊勢自動車道を経て東名阪御在所SAにて休息。

登山の安全と天候の良さを祈願して、うどんを食す。

しばらく来ないうちにメニューが盛りだくさんになっている。

理津子には嬉しい伊勢うどんの単品あり、穴子好きの私の気を引く穴子かき揚げうどんとか

お茶漬けうどんなんて物もある。残念なのは味が段々不味くなっていく事か。

セレモニーなのでしょうがないが、この先少し不安である。

 

名古屋で中央自動車道に乗り換え、中津川ICで下り、国道19号を北上する。

中津川からは初めて走る道である。木曽川沿いの中仙道と思っていたら、旧街道は道からは外れ

いわゆるバイパス道路なので街並みの中を走ることなく、幹線道路のわりにコンビニが異常に少ない。

それも「タイムリー」しかない。経験上美味しくないという印象が強いために、

他のコンビニにしょうと思っている内に、どんどん目的地に近づく。

事前に調べておけばいいのだが、最近は何処でも嫌というほどコンビニがあるので安心していたのがまずかった。

木曽福島の手前で19号から御岳に向かう枝道になるのだが、ロープーウェイがあるほどの観光地だからと

微かな希望を持ちつつ進めども、山が深くなるばかりでコンビニどころか民家さえ無くなる始末だ。

朝と昼の食料が無ければ登る事も出来ない。焦りは積もる。

ロープーウェイに通じる林道の手前でさすがに諦め、暗い中地図とにらめっこして、

木曾福島をかなり過ぎた所に発見。急いで引き返す。時刻はAM4時前の出来事だ。

後悔と焦りが相まって、次第にスピードが上がる。

クネクネ道を飛ばしていると、突然リツコが顔を上げ「酔った!あとどの位で着く?」

能天気な問いかけに「コンビニしだいだ。」と吐き捨てるが、解かってないだろうなぁ。

取りあえず、19号まで戻り、祈る気持ちで木曽福島市街に入るが、1k以上も左右に商店街はあるのに

目指すコンビニの姿無し。なんなんだこの町は。

諦めて19号に戻り走り出すと、ラッキーな事に地図には無かったタイムリー新店舗を発見。

ようやく食料をゲット!ひと安心。

店内に理津子の姿がないのでふと外を見ると、駐車上の側溝にしゃがみ込んでいるではないか。

又しても、逆噴射であった。ご愁傷様。少しだけ胸が痛む。

これ以上車酔いが酷くならない様に、リツコと運転を代わり再びロープーウェイを目指す。

夜が明け、辺りの景色が見え始める。朝靄の中を小1時間程走ると、ようやく到着。

御岳山全景 御岳山頂部

夏休み中は5時から営業、朝焼けの御岳に向かって走り始めていた。

綺麗に整備された欧風の花壇は各色咲き誇り、若干霞んではいるものの背景にそびえる御岳の姿は雄大である。

まぁ、ディズニーっぽい人形のモュメントは信仰の山にフィットしているかは、疑問が残る。

5時から7時までは飲み物サービスらしく、自動販売機のカップジュースがタダだ。

チケットを買う前から販売機に殺到する子供達に、教育の至らなさを感じる。親の顔が見てみたい。

機械の騒音か、受付のネーちゃんの声が小さいのか、チケットを買うのに手間取っていたら7号目到着6時30分。

朝食中の野生の猿の群れを見ながら、標高差300mを15分程で2100mまで運んでくれるのはありがたい。

さて、本番スタート。仰ぎ見ると、継母、継子岳を左右に従えた頂上部は広大で、まだ遠い。

若干下りぎみの平坦な道を10分程歩くと7合目の登山道に合流する。

行者旅館という山小屋があり、白装束を着た信仰登山者の団体にお茶をサービスしている。

場違いな我々は早々に立ち去ろうとすると、ハヤテが10分前にトイレを済ましたばかり(それも2回も)なのに、

今度はウンチがしたいと言い出した。出しておけというのに我慢すると言う。

次の小屋まで1時間半もあるのだと説明するも、そのうち収まると言って聞かない。

どうも嫌な予感がする幸先の悪い始まりであった。

トウヒの樹林帯の中、湿り気のある木の不規則な段差と幅の階段道は風が無く、朝だと言うのに暑い。

歩き出して間もないのに、階段が歩きにくいと文句を言い出すハヤテ。

姉のミサトは、まだ順調で叔父のヒデオと叔母のリツコと共に先を進む。

経験上こんな時は、不平ばかりでいたってペースが上がらなくなる長い忍耐との戦いが繰り広げられるのだ。

10分程歩くとすぐ疲れるので、休憩を繰り返し、腹が痛いだの云々・・・

2時間弱もかけてようやく8合目金剛堂に到着。急ぎトイレで用をさせる。

この小屋は何か買わない限り、休憩料300円を徴収するというなんとも了見の狭い名前負けする山小屋だ。

仕方なく外で休憩する。ふと気が付くと林立する霊人碑越しに山頂が再び姿を現わす。

靄の取れた青空を背景に見せるその姿は起伏に富んでいる。

9合目や山頂小屋まで見渡せる。意外と近く感じるが9合目まではコースタイムで約1時間半だ。

小屋の周りには、我々みたいに外で休む白装束の一団がいて、たまたま近くに座っていたオジサンが

聞きもしないのに色々と御岳について教えてくれる。

どのルートで何処までいくのか、何処に泊るのか聞かれ、ご丁寧に教えてくれるのだが

私も今回2度目なので大体の様子は解かっているけれど、そこは山でよくある出来事なのでフンフンと聞いておく。

先だっての台風の大雨で、帰りに予定していた8合目から三の池までの森林散策コースが、

崖崩れのため通行止めになっていた。その話をしていると、オジサンから貴重な話を聞いた。

御岳には山頂部に水の有る無しに関わらず池が5つあり、その中でも二の池と三の池は有名である。

三の池は竜神様が住む御岳最大の池で、その深さは諏訪湖より深く、二の池の水が1年しか持たないのに対し、

10年以上腐らない神水らしい。これを飲むとご利益があるらしく、オジサン曰く「他とは違う、ありがたい水」だそうだ。

わざわざ、ポリタンクを担いで水を汲みに登る人もあるらしく、粗末にすると罰が当たるらしい。

何度も念を押され、しっかりと頭にインプットしておく。

降り注ぐ7月の日光は強力だ。しかも森林限界を超えているので日を遮る高い木はもはや無し。

ハイマツの中をジリジリと日光に焼かれながら高度を上げて行く。

ピンチヒッターとして半ば無理やり連れてきた俄かサーファーのヒデオを先頭に、ミサト、リツコと続き、

やや遅れてハヤテ、エツコ、トシオという行軍である。

8合目をでて30分もしない内に、再びハヤテが便意を訴える。おそらく9合目までは2時間近くかかるだろし

何故しっかり出してこないのかと、エツコと2人して責めるがもう後の祭りである。

罰当たりにも霊人像の近くのハイマツの陰で穴を掘り、エツコの罵声と共に野グソをする。

かくして、彼は野グソ君3号の名前を拝命したのである。霊人像に、ごめんなさいと手を合わせ出発。

出すものを出してすっきりしたはずなのに、やる気はいっこうに上がらず、荷物が重いと文句を言い出す。

確かに昨年よりは多少重いが、どうやら年齢を増した割には体力が増さなかったようだ。

このままでは埒があかないので、仕方なくハヤテの荷物を背負う事にした。

現金なもので、ようやくエンジンがかかり出す。

前を行く美智に追いつくと、ハヤテの姿を見て「ズルイ!私も」と言い出す。

もともと重い上に、さすがにこれ以上は背負えないので、

比較的荷物の軽いリツコが、先行してもはや姿が見えないヒデオに出会うまで背負う事になった。

子供達は楽になれども、今度はリツコが青息吐息だ。

しばらく歩くとハイマツの姿が無くなり、岩のゴロゴロしたいかにも火山らしい様相になる。

いよいよこれから急斜面を縫うようにして登っていくことになる。

ふと、横を見ると丸太を並べたベンチらしき物にヒデオが寝ていて、

能天気に「遅かったではないか」とアクビ交じりに呟く。

石室山荘前 祈りの鐘

やっとお役御免のリツコは片を撫で下ろす。

1時間以上もかけて難儀な岩道を登れば、8合目半の石室山荘に着く。

登山道が小屋の真ん中を突っ切る奇妙な小屋(後に別にルートはあるときづいたが)である。

しかしここは良心的で休むのは無料で、最近気付いた山の記念に最適な山小屋のオリジナルバッチが4種類もある。

欲しがる子供達に帰りにしょうと言い聞かし、目の前の小屋に進む。

もっとも、再び1時間を要すのだが・・

足場が悪い急登では余分なザックを背負った男2人には分が悪い。

ザックの上に重ねた上部のザックが左右にずれるので、バランスを取る為に絶えず肩をゆすって修正しなければならない。

格闘の末、ようやく9合目の明覚堂に着く。このルートを開拓した明覚導師の像が祭られている。

暇そうな小屋のオバちゃんとバイトがウロウロしてまとわり付くので、

霊碑の前の鐘を納得するまで叩いた子供達をせかす。山頂部まであと僅かだ。

ロープーウェイから3時間のコースを4時間半費やし、なんとか到着。

靄の中に中央アルプスが浮かんでいる。残念な事に靄で頂上からの眺望は今ひとつである。

いわゆる頂上である剣が峰までおおよそ30分。もう終わりと思っていた子供達からブーイングを受けるも

そこは、容赦なくスタート。白装束で賑わう登山道を、トボトボト歩くと山頂小屋が現われ、

硫黄の匂いが漂い出すと御岳神社に到達。50段ほどの階段を登るとそこが3069mの頂上だ。

御岳山剣ヶ峰 御岳山頂奥の院

高校生らしき学校登山のジャージ軍団が階段を占拠していて、待機。

荷物をベンチにおき一気に登ると、さすがに信仰の山である。立派な社務所と、霊人像と碑が厳かに立っている。

山頂の看板と三各点はむかって左端にひっそりと置かれている。

360度の展望である。北側には乗鞍岳の姿が現われ、御岳さんの山頂部の全容が見渡せる。

眼下には僅かに水溜りらしき物がある一の池、一段下がって万年雪を湛えた二の池、

地獄谷 一の池

麻利支天山越しにエメラルドグリーンの三の池がある。本日の宿五の池はここからではまだ見えない。

「何処?何処?」と、うるさく聞かれるが、あと1時間半ぐらいかかるのだと言うと、押し黙る。

反対側に目を転じると、地獄谷の噴火口から薄っすらと噴煙が上がっている。

剣が峰から王滝山頂の頂上小屋まで、飛び飛びにジャージ軍団の隊列が伸びている。

頂上の鐘を晴れやかに鳴らし、記念写真を撮る。

ニコニコ顔の中でひとりエツコだけ顔が蒼白である。どうやら立派な高山病らしい。

9合目前からその前兆はあって、予防に酔い止めの薬(高山病に有効)を飲んでいたものの

ついに来たようだった。エツコ曰く、「ハヤテを怒りすぎて、ぐあいが悪くなった。」そうな。

そそくさと階段をおり、少しでも高度を下げる。道理で頂上でもしゃがみ込んでいたのか。

山頂は食事禁止の看板に関わらず、多数の人が平気で弁当を広げていた。

子供の教育上、ルールに従い荷物のところに戻る。

神社の売店で、山バッチと御神籤を引く。

ミサトとリツコは大吉、ハヤテは小吉なり。特にリツコは大喜びである。

何でも恋愛運は、「待ち人来る。されど焦るべかざる。」だという。このまま焦らず待てばOKね。

と現状の男っ気なしを正当化しているが、37という年齢を考えると何時まで待てばよいのか疑問である。

まぁ、この能天気さが彼女の魅力といえば魅力なのだが、それを好きになる奴は限られているかもしれない。

来た道を一気に下りると、二の池だ。遠目には綺麗でも近くでは水深は浅く、確かに1年しか水はもたないかもしれない。

二の池 三の池

二の池山荘の近くでようやくラーメンタイムとなる。気が付けばもう1時だ。

山荘を越えると賽の河原と呼ばれる石のゴロゴロの盆地になる。盆地のあちこちに盛り石(ケルン)があり、

中には墓標や旗がさされた物まである。

60m下って登るのに40分以上かかり、白竜教会のある三の池への峠までたどり着く。

左手に2959mの麻利支天があり、地図上のコースではそれを巻いた方が近そうだが、

見た目ではどう見てもかなり、きつそうなルートだ。

皆の顔を見渡すと、イッパイイッパイで、とりあえずまだ余力のありそうな秀男と様子を偵察に登る。

しばらく登ってみると下から見た一番高い所まで登らなきならない事が分かり、ダメサインを送る。

残りのチームは、トラバースルートをとる。

結局女子供チームの方が、早く到着。我々は一山越えて裏側から五の池に向かう。

後20分という看板で、麻利支天の頂上はあっさり放棄したが、お陰で五の池と山荘の景色は我々だけのものだ。

2時にようやく五の池小屋に到着。出発からなんと7時間半も費やしてしまった。

皆頑張った。

継子岳(奥)と飛騨山頂 朝焼けの五の池と五の池小屋

五の池小屋は2〜3年前に嵐で吹き飛んで建替えられ、小さいながらまだ木の香りが残るいい小屋だ。

以前にSハイヤーのツアーで登った時にはオンボロでじいさん夫婦が二人して細々と営んでいたが、

今や岐阜の小坂町から委託され若い兄ちゃん2人が主に、バイトの若い姉チャンとオバサン4人でやっている。

当時の様子からするととても泊るなんて考えられなかったが、たまたまこの小屋の事を知り、リベンジすることにした。

オバサン連中のツアーに空きが入り、カホの親父からの誘いに始めて乗鞍岳に登り御岳の美しき姿に魅了されていた私は

夫婦して参加。岐阜県側の濁河温泉口からドヤドヤと登るうちに、体力の限界やら、膝痛、高山病などで脱落者続出の中、

ようやく五の池のある飛騨山頂に着いたときには、丸っきりのガスの中であった。

視界は10メートル位で何も見えず、辛うじて眼下の三の池がガスの晴れ目に時折見えるだけであった。

充分な装備が無い中寒さに震え4時間ほど歩いた一行に、往復3時間の頂上行きか無理と判断、ここから引帰させた。

余力のある私と親父がアタックし、今回と逆コースで剣が峰に向かうもガスは晴れず、

頂上に着いたもののそこは乳白色の世界であった。

遅れがちな親父と頂上で別れ、先を急いで下山道の途中で合流し、8時間半強のハード登山となった。

ちなみに親父は夜も暮れ遅れること2時間半。皆の心配の中ようやくずぶ濡れで旅館にたどり着いた。

そして、以後本格登山から足を洗うことになった

悦子は忍耐の限界を超え、沈没。健気に美智が甲斐甲斐しく布団を敷く。

小屋の収容人数が30人のごく小規模な作りは、入り口が土間でその奥に食堂兼憩い室があり、左に厨房とスタッフルーム、

右に客室となっている。客室は中央に通路があり左右に2段に区切られている。

我々はその2段目右の一角全部。布団の枚数は7枚。池に面し窓からの景色は良し。

エツコ曰く、「1階に降して欲しい。」どうやら1mでも高度が下がれば楽らしい。

その辺は、日本では酔っ払っても高山病に罹らないと決めている私には理解不能である。

子供たちは着いたとたんに元気になり、持参のゲームボーイを始める。

残りの3人は、とりあえずお疲れさんのビールで乾杯。

バイトの姉ちゃんに、三の池までどの位の時間が懸かるのか訊ねると1時間位らしい。

では神水を採りに行こうと、子供のザックに空のペットボトルを積め、来た道を少し戻り100m程降る。

ゴロゴロした岩の間を抜けると、野球場1個程の青い池が広がっている。

池のほとりに小さな御堂があり、8合目のオジサンの言葉もあって罰が当たるといけないので、ちゃんと礼拝しようと近づくと

辺りには杓子がそこかしこに置かれている。兄弟を代表してヒデオが賽銭を上げ、

「竜神様、お水頂きます。」と頭を下げる。いざ水を採ろうとすると、なんだか泡ぶいているではないか。

透明度は確かにあるのだが・・・。「大丈夫かな?」というリツコに、「何を罰当たりな事を言う。祟りがあるぞ!」

かくして、泡は避けて4リットル以上の水をいただき、帰路につく。

ほど良く酔いの回った私には、事の外登りはキツく、この旅一番のゼイゼイものだった。

15分毎に荷物を交換、予定より早く40分ぐらいで往復できた。

「竜神様頂きます。」とバーボンの水割りで乾杯。心なしか神秘の味がした。

ちなみに剣が峰直下の山小屋では、竜神水として500mlのペットボトルが500円で売られていた。

眠気と戦い、ようやく6時に夕食。エツコは物も食べられない状態なので、夕食を断ると、

親切な小屋で「おかゆ作りましょうか?」と気遣ってくれた。

30人の収容人数なのに台風の影響もあり、我々も含めて2組。6+2の8人という余裕もあったのだろうが、

いい小屋である。さてさて夕食のメニューは天ぷらに湯豆腐

山で湯豆腐は甲斐駒で海魚の刺身以来の衝撃だったが、刺身ほどの違和感は無し。

夕日を見ようと、頑張っていると辺りはガスの世界になる。

それでも時折、晴れ間があるので震えながらカメラを持ちシャッターチャンスを待っているのに

一人だけ暑いと騒いでいる奴がいる。罰当たりな理津子である。

通常夏山では暑いので、我々は半袖半ズボンで登るのだが、周りを見渡しても女で半袖だけでも珍しいのに、

半ズボン姿の女は皆無である。その無謀な女がリツコである。

リツコ曰く、顔と腕はUVケアーをしたが足は塗り忘れた。半ズボンと靴下の間、特に脹脛の日焼けは見事である。

和具弁で言うと、ヒラタイ。ヒリヒリ痛い。夜通し熱痛いで、龍神様を冒涜した罰が当たった。

この天然な女に果たして、待ち人は来るのだろうか?待っているだけではダメな気がするのは、私だけなのだろうか?

 

かく言う私も、老化すると日焼けも遅くなると勘違いして、UVケアを忘れ、後に相応の報いを受ける。

真夏でも山の夜は結構寒く、布団を着ても寝苦しくはないのだが彼女だけは足が熱くて眠れぬ夜を過ごした?そうな。

 

御来光 朝食

夜中に、ヒデオの場違いな携帯電話のメールコールで飛び起き、気が付くと辺りが明るくなっていた。

頭の上の二重窓から外を見ると、またしてもガスだ。まぁ日の出は望めないと安心してウトウトしていると、

何時の間にかガスが抜けて、クリアーな景色がそこにあった。慌てて取り外してあったズボンの裾を捜して装着。

カメラ片手に一人外に飛び出す。20m程歩くと稜線に出るので、雲のお陰でギリギリ日の出に間に合った。

子供達や、根性で毎回高山病を克服するエツコも出てきたが、太陽が雲の中にあるので、声を掛けるまもなく

寒さに震えてスコスコと布団に戻る。もう少し待てば良かったのに・・・

黄金色の四の池 朝の剣が峰

朝日を受け三の池は神秘的に色合いになり、四の池の川が金色に輝いている。

この四の池は山頂部では小屋から5mばかり上がった所からしか見えない。したがって彼女達は見ないままであった。

金色の麻利支天を見ながら、山はいいなと、つくづく思う。

みんな揃って朝食をと摂り、7時に出発。

来た道をひたすら戻る。稜線からは正面に中央アルプスが、その後部に南アルプスが重なって見える。

その少し北側に八ヶ岳の山並み、子供達に昨年行ったのはあの山だよと、八ヶ岳中央部の天狗岳辺りを指差す。

更に北側に乗鞍岳の雄大な姿が浮かび上がり、その奥に穂高連峰、そして見間違う事なき憧れの槍の穂先が見える。

西に目を転じると、霊峰白山の美しい姿。

そして振り返ると、満足そうな子供達の表情。来た甲斐があったというものだ。

隊列は昨日と同じくヒデオを先頭にハヤテ番の我々夫婦をしんがりに進む。

中を行くリツコは七分ズボンなのは良いが、学習を知らないのか、なんとノースリーブのTシャツだった。

絶対御神籤は間違いに違いない。

槍穂高連峰 八ヶ岳

麻利支天のガレ場を落下に気を付けながら横切り、再び賽の河原のアップダウン。

昨日に増して強烈な日照りに慌てて、日焼け止めクリームを塗る。

1時間半ほどで二の池小屋に着く。

ここから行きとコースを代え、稜線沿いにトラバースすると、目の前に覚明堂が現われる。

ここからハヤテの独断場が始まる。もともと下りは強いのだけれど、8号半の石室山荘にあったバッチが目当てで急ぐのである。

あらかじめ荷物を軽くしてあるので、ザックを担いでも岩場を跳ねるように一気に下っていく。

登りの背中が丸くなり腰が落ちたヤル気のない姿とは別人である。

荷物の重いヒデオと私は追いつくどころか、見えなくなる前に大声でハヤテを止めるのが精一杯。

子供は恐るべしである。石室山荘で4種全種類のバッチをゲット。

登りの信仰衆の中で、俯いているオバさんがいた。すると小太りのオッサンが急に九印を切り出し、祈祷を始めた。

どうも修験道者とあまりにかけ離れた見た目に、ビックリだが、汗を流しながら一心不乱に悶を唱えているのだ。

恐るべし御岳山。後で聞いた話では、どうやら高山病のようで、無線で下山させる手配をしていたらしい。

病は気からというが、一度罹った高山病は下りなきゃ治らない。それでも不安がなくなれば少々楽になるかもしれない。

ハイペースが途中でオーバーペースにならないかが不安であったが、

順調に進み、下り始めて1時間45分。トータル3時間半でロープーウェイに到着。

御岳稜線にて コマクサ

名ばかりの高山植物園を見学。哀れな程貧弱なコマクサを発見。

飲み物がタダと勘違いしている子供達と一気に7合目。無事登山終了である。

 

日陰を捜して駐車場の隅で昼食後、行きに目を付けてあった木曾温泉に向かう。

500円というリーズナブルな価格であったが、残念な事に露天風呂は無し。

しかし早い時間帯なので、貸切なのはいいが、浴室に入った瞬間から暑い。窓を全開、近くにあつたホースの水も全開。

いざ入浴すれば、日焼けした足と腕が痛い。やはりUV対策は大事だ。

理津子に至っては、浴室に入っただけで痛くて、つま先だけの入浴で終わったらしい。

大丈夫なのは、海岸で肌を鍛えたヒデオと子供達。

山は舐めたらイカン。

かくして、旅は帰路に着くのであった。

終わり。

 

 志摩お山歩倶楽部 竹内敏夫

 

 

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